教典より(抜粋)

どうしようと思っても人間の思うようにいかないから、神様にもたれておれば神さまがよいようにしてくださる(山下よしの伝え)

信心する者は、山へ行って木の切り株に腰をおろして休んでも、立つ時には礼を言う心持ちになれ (伝承者不明)

今信心したからといって、今おかげがあるとはいえない。たとえてみれば、魚でも味のよいものといえば、かつお節であるが、それも、今けずって今味が出るのではない。長く煮ている間には、よい味が出てくる。信心もそれと同じで、十年信心をしてみると、ありがたいことがわかってくるであろう。(山形春蔵の伝え)

・人間は人を助けることができるのはありがたいことではないか。牛馬はわが子が水に落ちていても助けることはできぬ。人間が見ると助けてやる。人間は病気災難の時、神に助けてもらうのであるから、人の難儀を助けるのがありがたいと心得て信心せよ。(金光教祖御理解)

・此方の道では、やくとは世間でいう厄ではなく、役人の役という字を書く。やく年とは役に立つ年ということである。大やくの年とは、一段と大きな役に立つ、大役を勤める年と心得て、喜び勇んで元気な心で信心をせよ。(福嶋儀兵衛の伝え)

・草木でも節から芽が出て、枝葉を茂らせているであろう。しかし、節は堅くて折れやすい。人間も同じこと。信心辛抱していけば、節年を境に年まさり代まさりの繁盛のおかげを受けることができる。(福嶋儀兵衛の伝え)

・痛いのが治ったのでありがたいのではない。いつもまめなのがありがたいのぞ。みな祈れ薬れにすればおかげも早いが、薬れ祈れにするからおかげにならぬ。(金光大神御理解集より)

・これまでは、神へ参りて、おかげをくだされいと言うてもどるぎり。おかげはあるやないやら、沙汰なし。それでも、一心と拝めばわが心に生きたる神様がござるがゆえに、めいめいに拝んでおかげをうけるのぞ。ここらをよく、氏子、合点をして信心をせよ。(金光大神御理解集より)

・金の杖をつけば曲がる。竹や木の杖をつけば折れる。神を杖につけばよい。神は曲がりも折れも死にもなさらない。立てた柱はたおれることがある。つったのれんにもたれる心になっておかげを受けよ。

・役に立つ人でも役を解かれる人はある。お道も同様で、信心の強い人でも世に出ぬ者もあり、あれがという人でも、盛んに発達する者もいる。信心する者は、いかがなことがあろうとも信心をやめてはならぬぞ。先を楽しみ、また世に現るることもあるぞ。(金光教教典抄より)

・先祖、先祖よりの罪をわびよ。めぐりは、ひなたに氷のごとくお取り払いくださるぞ。ただ、神がめぐりを取り払うてやろうとしても、氏子はあまりにいたいから、よろしいと逃げますのじゃ。神もせっかく出した手を引っ込めてしまうわい。(金光教教典抄より)

・目先の欲を放して、将来の徳を取れ。立ち木にたとえれば、根本を忘れて枝葉に目をつけると、そのもとを知らぬ間に虫が食い一緒に倒れる。ゆえに、そのもとに心をつけよ。(金光教教典抄より)

・「拝むにはどうしたらよろしいか」とお伺いしたところ、金光様は、「拝むことは、何でもよい。お題目でもお祓いでもかまわない。拝みよいように拝め」と仰せられていた。そして、だんだんと後になると、「そんなに力をいれなくても、ただ神さまにお話しをするように拝め」と仰せられた。(金光教教典より)

・みな、神様に捨てられた捨てられたと言いますが、神はめったに捨てはせぬ。みな、氏子から神を捨てますのじゃ。

一生死なぬ父母に取りついたと思うて、何事でも無理と思わず天地の神にすがればよい。

・人は年を重ねると隠居しようと考えますが、隠居は幾つ何十になってもするものではありませぬ。

 人は天地の神が天地の内に働くようにお造りなされたのじゃから、幾つ何十になっても、手足の動く限りは働きますのじゃ

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